アクセスバーズ1日講座
★1月14日(日)10:30-17:30
★1月28日(日)10:30-17:30
受講費 40000円 再受講はどのファシリテーターからの方も20000円
定員1-4名
その他の日程はリクエストください。
平日・週末ともに可能です
お互いに多忙ゆえ、年に2回の猫パーティーでは、大いにお喋りします。
ランチから始まって8時間位、お家の猫や猫の保護活動やアニマルコミュニケーション、そして各自の人生の課題や身内の話等などを延々と話していきます。レイドウレイキを通して知り合ったけれど、私の大事な親友です。
だんだんと年齢を重ねていくと、この猫たちを自分がちゃんと看取れるのかも大事な点になって来ます。
特にお互いに子供のいない同士なので家族が引き継ぐことは難しく、次に引き取る予定にした猫も10歳とのことでした。
その時々に話題が出ますが、今回はお墓の問題。
私などは、お墓は死んだ後に入るのだから気にしないけれど、やはりそこを大事にされている方も多くいます。
実家のお墓に入りたくないという方もいるし、嫁ぎ先のお墓なんてとんでもないという人もいます。
友は何回も都の樹木葬の応募をしているけれどなかなか当選しないとのこと。
とてもスピリチュアルな能力の高い人で、魂は自由だと知っていても、そこは譲るのが難しいのでしょう。
また、お寺が由緒があったりすると法要ごとに必要な経費が随分とかかるようです。
結局は家族や親族がみな仲良しならば何の問題もないことでも、そこに傷があれば問題になるのが良く分かります。
自分が亡くなった後に、甥姪などに迷惑をかけたくないという話がいつも出ます。
確かに私も同様で、子供がいない上に自前で永代供養するとかの動きもしていないし、とりあえず実家の墓に入れて置いてくれればOKと思っていますが、その墓を守っていく上では多少なりの経費がかかるのは確かです。
家の墓は父が気に入って購入した霊園で、年間経費などは思ったほどはかからなかった上に、霊園ゆえの良さで法要に関してもどれだけしなくてはいけないという圧迫感もない気軽さです。
秋田になったお寺の墓から、祖父母を移した時は、事務手続き、田舎の親戚の根回し、経費も大変だったようですが、それが父は最後の仕事と思っていたようで、全て終わってから亡くなりました。
そんなかんな、墓に入る入らないなどの話をしているなかで、面白いなと思ったのは、
「最終的には人間は誰かに迷惑をかけるしかないんだから」という話。
現代の日本だとそうですね、身寄りのない人でも、役所や焼き場の人だったり、人の手を借りてます。
しかし、よく考えてみると、
・迷惑をかける
・面倒をみてもらう
・手間をとらせる
・手を借りる
同じように誰かに何か助けてもらうことではあるけれど、ずいぶんと感覚が違いますし、
甥姪がどう感じるかはその人たちのものです。
その内、本人からふいに
「トラウマ」という言葉があがってきました。
迷惑をかけるなと随分と言われた記憶があるのです。
おおーー、年末の勉強したゼロリセットやん。
ゼロリセット、かなりロジカルで左脳的な要素も強く、私にはスッとはいるかというと、かなり難しい気がしましたが、
トラウマは、感情と弱者信念がセットになったものというのは確かにそうですね。
あ、そこでゼロリセットの話にはもっていっていませんが^^;本人が「トラウマ」という言葉を口にした途端随分とエネルギーが軽くなった感じがしました。
それにしても、人間は亡くなった後にはどうなっていくのか?
私自身は、愛猫クロロも、父も、亡くなった後には今までよりも時間空間を越えてそばに来れる自由さを感じたことがありました。
祖父母が亡くなる前後で霊体として私の方に飛んできたのもみたので、肉体が死を迎えても、魂という存在があるのだと知っています。
先日観た映画「鎌倉ものがたり」では、死後の世界はそれぞれの意識によってつくられると言っていましたが、きっとそうかもしれません。そして、今いる人間の世界と、霊的な世界は幕一つはさんだように折り重なっている状態なのだろうとも思います。
さて、実際にはどうなのでしょうか?
こればかりは、本当にあの世に行ってみないとわかりませんが。
あら、あら、まだ正月松の内なのに、話の展開が暗い?かということで、最後は素敵なお話。
昨日、臼井先生お墓参りに行ってきましたが、その時に、小さな男の子の会話。
「お墓の中には何があるの?」
「ご先祖様の御骨があるんだよ」
「死んだらここに来るの?」
「そうだねぇ、この中にいるとは限らないけれどね」
男の子、
「ママー、ママは死んだら僕の心の中にもどってきてね」
可愛すぎです^^
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