自己受容と自己肯定感

昨夜読んでいた本「悪魔とのおしゃべり」には

「幸せになりたい」「お金持ちのなりたい」といった時点で、「なれない状態」を続ける宣言になってしまうのだよと書かれています。なので望みはかなっているんだ、そうなりたいという望みが見事に叶っているではないかというような事が書かれていました。

屁理屈ともとれますが、上手いこというなというのも事実。

ちなみに「悪魔とのおしゃべり」の前に出版されている「神様とのおしゃべり」を私はまだ読んでいないのですが。

 

浄土宗西方寺の1月のカレンダーには、

願うこころは道をつくる

とあり、その説明に、

こうありたい、こうなりたいという思い。それを持ち続けることが、望んだ明日に近づく一歩です。

と書かれています。

 

相反するような内容ですが、どちらも真実。

 

例えばレイキヒーリングのエネルギーの使い方を表すときに、導管(パイプ)となってエネルギーを流すと言います。

そのときに、病気が治りますようにと思ってはいけないのですか?と聞かれることがあります。

あまりに思いが強いと、導管となるのではなく、自分の念を使ってしまいます。

しかし、目の前に病気だったり、辛い苦しいと感じている人や自分がいるときに、それが良くなるようにと願う気持ちは自然にわき出てきますから、止める必要はないのです。

 

ひとつの方向性として考えると良いと提案しています。

さらに、良いのは、「病気が治りますように」を「健康」に変えるとか、

「穏やかで健やかな状態」など、肯定的な言葉で方向性を宣言すれば、まさにそれが既に「ある」ことになります。

最近よく使うのは「本来の状態」ですが、これもまた奥が深い言葉です。

 

ところで、この世は見る人の意識によって作られているといいます。

悲しい、嬉しい、楽しい、辛い、ラッキー、アンラッキー、幸福、不幸

物事の判断基準は自分だけれど、無意識に誰かと比べてその判断がされてしまうのも思い当たること多々あるかと。

これは、人間が共同生活をしている故におきてくる現実。

それについて人間の次元が低い故に何かとの対比がなければ気がつかないことが多いからだという方もいます。

絶対的な愛に気づけないから、何かと比べるのだと。

 

本来の状態とは、絶対的な愛に気づいていることなのかもしれません。

絶対的な愛に気づくための、大事な要素が自己受容や自己肯定感。

 

そのための露払い、埃や塵を取り除くことをセラピーやヒーリングではやっているのです。

それによって、見えないモノが見えやすく気づかなかったことが気づきやすくなるのです。

トラウマや傷を癒やすことで、次の段階にすすむ準備が整うためにも役立ちます。

様々なセラピーやヒーリングを受けていっても、最終的に自分を認めていくことは自分でしか出来ないことです。

 

ということで、今回の幸力の会(レイドウレイキ卒業生)の勉強会は、大学で教鞭を取っている平林教授がお話ししてくれます^^

幸力の会勉強会

「自己受容~自分を大切にするコミュニケーション」です。

 

場所は、研究所近くの会館でやります。

ランチタイムは新年顔合わせを兼ねてゆっくり目にとって、予定は近くのお店で各自支払いでオーダーして食事をする予定です。

そして、午後からは青木先生は3a授業ですが、私と幹事さんを含めて、皆さんでヒーリングを分かち合いましょう。

場所や会費など詳細は別途メールでヒューマン&トラスト研究所あてにお聞き下さい。

レイドウレイキ1段階以上の方はどなたでも参加できます。