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母の一周忌です

今日は母の一周忌法要です。

 

東京は冷たい雨が降っていましたが、こちらは曇りでした。

 

 昨年の同じ日、母が急逝しました。

急逝と言っても、年齢的にも89歳でしたし、認知症で長らく施設のお世話になっていましたが、体も弱って来ているのを感じていましたし、お迎えが来たという感じではありますが。

 

それにしても前日の昼までは自分でご飯を食べていて、夜に少し熱があり夕食は抜き、翌朝もまだ熱っぽいから朝食は無しで様子を見ましょうという事だったそうです。施設の方が他の人達の食事のことなどをして、その後に部屋に来た時にはもう亡くなっていたとのこと。

 

なので、そんなに苦しむこともなくあっという間に向こうに逝ったようです。

 

妹が先に連絡を受けて、私に電話がきました。

「心臓が止まっているらしいから、とにかく来てくれというので、これから病院に行ってくる」とのこと、私もその日はお休みの日だったので、駆け付けました。

 

電車の中で、「心臓が止まっているって???うーん、亡くなっているっていうこと?それとも蘇生処置をしますか?という相談?」と訳が分からないような感じもあったけれど、どうやら妹も気が動転していたようで、止まったのは心臓ではなく、呼吸が止まっていると職員の人は言ったようですが。。。

 

着いた時には、もう完全に亡くなっていました。

あぁ、やっと自由になれたねと思いました。

 

母もすっと抜けたようで、楽になったのを感じました。もう認知症ではなくちゃんと意識(と言っていいのか)をもって、死を受け取っていたようでした。

お迎えが来ると言いますが、約束通り、父も来てくれたと感じました。

実は父が亡くなる前に、私は本当にお願いしたんです。

母が亡くなる時には絶対にお迎えに来てあげてねと。

 

父は、亡くなる予定ではなかったのに、思いがけずに足の骨折と大動脈瘤の手術と2度の手術が重なり、いただいてきた命のエネルギーを相当そがれてしまいました。それで、一気に残っていたものを消費してしまったのです。

でも、父の時には、最後の2週間ほどは平安死として看取りまでの時間をすごしていけたので、良かったと感じています。

 

亡くなる1か月半ほど前には、顔面マヒになってしまい、顔の変形もひどかったけれど、それは亡くなる前に回復出来て、とても痩せてしまったけれど、ちゃんと父の顔で亡くなっていきました。

最期の時は私と妹がちょうどいて、本当に三呼吸で旅立ちました。

 

今でしょ!っていう感じだったなと、思い返します。

最後に父らしいなと思う亡くなり方でした。

 

認知症の進んだ母は、そういう自由を奪われてしまったようでした。

亡くなる前の9月、お見舞いに行った時に、ベッドでごろんと寝ている姿を見た時に、やっと私も手放すことが出来て

「もういいよ、いつ逝っても、自分の好きなタイミングで逝っていいよ」と伝えて、イクジットステージレフトをしてあげました。

 

そして12月に、母は逝きました。

ひとりで旅立つのも、母の選択だったのでしょう。

 

だけれど、ちゃんとお迎えしてくれる存在がいて、すっと逝けたなと分かりましたから、母は意外にあっという間に成仏してしまい、楽々になったようでした。

 

少し前に、初めて母の夢をみたんです。なので、すっかり向こうの生活にもなじんでいるようです。

 

 

 

私自身は、1周忌を終えて、いよいよ喪が明けると、一気に神様との繋がりも深められるのではと期待しています。

 

仏さまや眷属とは少し仲良く出来ても、神様となんとなくつながるのが難しいと感じていたのは、私自身の喪中による穢れが関係していたのかもしれないなと、最近になって気づいたのでした^^;